高山市の成り立ち
高山市というと面積の広さでは日本一、大阪府や香川県よりも広いのです。
平成の大合併が行われた平成17年に現在の広さとなりました。
そもそも高山の成り立ちは明治22年、現在の古い町並みがあるあたりの
一之町村、二之町村、三之町村が合併して高山町となったのが始まりです。
その後、大正15年に灘村を吸収。


昭和11年に大名田町を合併して高山市となり岐阜県では3番目の市制がスタートしました。


写真はそれぞれの旧町村を記念した碑。
前者は桐生町内にあり、後者は昭和町ポッポ公園内にあります。
そののち、昭和18年に上枝村を、昭和30年に大八賀村を吸収し
平成の大合併までの約50年間、私が一番親しんだ旧高山市が存在しました。
人生の半分以上を旧高山市で生きてきましたので
今でも高山市というと旧高山市のことだという感覚です。
50年近くもその高山市で過ごしたんでなかなか抜けきれません。
増してや痴呆が進行してきてるので昔のことだけ覚えてて
新しいことを覚えれない症状が出てきております。
いつまで経っても昔の狭い高山市のまんまなんです~。(涙)
平成の大合併が行われた平成17年に現在の広さとなりました。
そもそも高山の成り立ちは明治22年、現在の古い町並みがあるあたりの
一之町村、二之町村、三之町村が合併して高山町となったのが始まりです。
その後、大正15年に灘村を吸収。


昭和11年に大名田町を合併して高山市となり岐阜県では3番目の市制がスタートしました。


写真はそれぞれの旧町村を記念した碑。
前者は桐生町内にあり、後者は昭和町ポッポ公園内にあります。
そののち、昭和18年に上枝村を、昭和30年に大八賀村を吸収し
平成の大合併までの約50年間、私が一番親しんだ旧高山市が存在しました。
人生の半分以上を旧高山市で生きてきましたので
今でも高山市というと旧高山市のことだという感覚です。
50年近くもその高山市で過ごしたんでなかなか抜けきれません。
増してや痴呆が進行してきてるので昔のことだけ覚えてて
新しいことを覚えれない症状が出てきております。
いつまで経っても昔の狭い高山市のまんまなんです~。(涙)
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